2017年 09月 14日
昨日の空
まだまだ青々しているはずの我が家の柿の木、1枚の赤い落ち葉に、ハッと息をのむ朝。
ヒロシ君のおばさんが亡くなりました。享年76歳。
長い闘病の末の安らかな旅立ちです。
30年前に乳ガンを発症してから、完治しては他にガンが見つかり、また完治して、を繰り返し、最期は腎不全でした。
常にガンと戦いながら、家事をこなし、趣味の水泳を続け、親戚の誰もが「あの人は頑張り屋だった」と口をそろえて言います。
亡くなる前夜も、病院で「パンが食べたい」と、買ってきたツイストドーナツを自分でちぎって食べていたそうで、翌朝急変してすぐに・・・「彼女は最後まで人に迷惑をかけない人間だった」と、おじさん。
一昨日が通夜、昨日が告別式。
葬儀は近親者のみで花輪もおかず、非常にシンプルな式でした。
式は質素に、でも最後はリムジンに乗りたいというおばさんの希望で、葬儀場から焼き場への短い道のりを、格好良いリムジンに乗って・・・おばさん、喜んでるかな?
喪主の挨拶、開口一番「人が亡くなって、こんなに悲しいのは人生で初めて」。
「自分の分身がいなくなって、彼女も辛かったと思うけど、一番辛いのは俺かもしれない」と、おじさん。
最後に「ガンは治る病気です。だから皆さんも健康管理をしっかり、早期発見早期治療をしてください」と締めてくくっていました。
別れ際「これで一通りの儀式も終わってホッとしたけど、あいつはもう帰ってこないんだよな」とポツリ。
私が知っているおばさんは、いつもおだやかな微笑みで、そっと優しい言葉をかけてくださる方でした。
私の作った生姜の佃煮美味しいと、ごはんも食べていたそうで、最後に作った生姜甘味噌は食べられなかったけど、おじさんが「これは母ちゃんの好きな味だ」とおっしゃって、元気なうちにもっともっと色々作ってあげたかったな。
嫁の身分である私は受付を仰せつかり、こんな時にしか顔を合わせない「初めまして」の親戚も多い中、おばさんの娘さん(ヒロシ君の従妹)とは、おかずとお菓子の交換などもあって少し交流も深まり、お互い近くで働いてるから「たまにはご飯でも」と、おばさんが引き合わせてくれたご縁を大事にしたいと思いました。
昨日の夕方、西の空がピンクに染まって、下の方が金色に光ったかと思ったら、あれよあれよという間に群青色に飲まれて行くのを、ヒロシ君と見てました。
こんな美しい空に、おばさんは旅立って行ったんだね。(H子)
そして、ヒロシ君さまのおばさま、「式は 質素で でも最後はリムジンに」、かっこ良くて素敵な方でいらっしゃったのですね。長らくのご闘病にも 強く穏やかなお気持ちでいらして本当にご立派な方だったと思います。
仏様となられた方からいただいたご縁は、 一番尊いご縁だと聞きます。このご縁を大切にしたいと思われたH子さん、素晴らしいと思います。
おじさまのお言葉にも じーんときますね。
さぞや お辛い日々だとお察ししますが、お元気でお過ごしになられますことを 遠くから祈っております。
美しい夕焼けの空、泣けますね。。
ヒロシ君さまのおばさまのご冥福を心よりお祈りしております。
軽やかに あちらの岸辺についてから
先に行って待っていてくれた誰かに
ちょっぴりエッヘン顔で、
にこにこお話されるんじゃないかしら。
やさしいおばさまが結んでくださった
旦那様のいとこさんとの和かなご縁。
子供がいない人生を歩く私には
そうやってつながっていくことの尊さや温かみが、
とてもありがたく思えて…そして
H子ちゃんにはその「むすびめ」が
とてもたくさんあって素敵だなぁと感じます。
旅立ちは、9月…おばさま、お見事でしたね。
暑くもなく寒くもなく
私を想って見上げてくれる空が
どこまでも高く深く、涙が出るほど美しい…
私も そうならいいな…
合掌
早々に、お悔やみのコメントありがとうございます。
ジーンときました。
そうですね、仏様になられた方からいただいたご縁ですものね、一生大事にしたいと思いました。
その人の生き様って、亡くなったときに、いろいろな角度から伝わってくるんですね。
昨日の空は、まさにそんな心を映し出していると感じました。
そっか、リムジン乗ったんだ。
おばさん、向こうでも、リムジンでお出迎えされてたらいいな。
そうね、子どもがいないから、なおさらこういう親戚の集いは大事だね。
そして私の時は・・・もうね、式とかしないで、ひっそり森に埋めて欲しいんだ。
森の一部となって暮らしたい。
ココちゃんにとっては、9月って特別な月だったよね。
一年で一番爽やかで、美しい季節だと思います。
そんな時をその日選ぶって、やっぱり魂が尊いんだなぁ。
この空が、ココちゃんとつながって、おばさんとつながって
そんなことを思ってじわじわしてたらラジオでさ
『いい日、旅立ち』がかかってさ
もう目の前の画面が見えません。
ココちゃん、ありがとう。
ご主人様のおばさまをお見送りされたのですね。。。
あまり軽々しく言葉を並べるのは本意ではないのですが、
やはり、良き人との別れは、どんな場面でも辛く悲しいものですね。おじさま、そしてご家族の方々はどれほどお寂しいことでしょう。。。H子さんのお手製のお料理を召し上がったお話、読んでいて涙こぼれました。私も大好きだった叔母を11年前の8月に見送りました。やはり乳がんから最後は別の癌に転移して、、、享年は60歳を目前にしての旅立ちでした。長い闘病生活は本当に大変だったこととお察しいたします。それでも、本当に優しい方だったのですね。人の生きざまは最後になってわかるとは本当によく言ったものだと私も実感しています。人と人とのご縁って不思議なものですね。いい日、旅立ち、涙と共にわたしも共有、共感させていただきますね。月並みな言葉になってしまいますが、心からお悔やみ申し上げます。
H子さんのまわりには素敵な人生の先輩が沢山いらっしゃって、H子さんもそれを受け継いで、どんどん広がって行って・・読んでいて羨ましくも感じました。
どんなことがあってもご自分の人生を大切に過ごされているおばさま、周りに居る人をどんなに勇気づけたでしょう。
愛し、愛され、凄く仲がいいご夫婦だったんでしょうね、
おじさまお淋しいでしょうね・・・
昔読んだ絵本にそんなお話があったと記憶していますが、
私は自分達夫婦がこの世からいなくなったら、いつも行く好きな公園の木になりたいなぁと思っています。
いつかくる別れ・・・一日一日大事に、過ごしたいと思いました。
お別れは、どんな形にしても悲しいね。
長い闘病生活を周りの人を気遣って来られたおばさんは、強い人だね。
ご主人やお子さんは、悲しいを通り越しているのだと思いますが、
おばさんが、一番お辛いのかな。
まだまだ、元気で過ごせるお歳なのに。
お子さんとの繋がりも、大事だね。
これから歳を重ねて、そう言うお付き合いも大事になって来るしね。
H子ちゃんには、お友達もいっぱいで、親戚付き合いもちゃんとしてて、安心だ~
人とのご縁は、誰にもどうにもできないから、H子ちゃんの人徳もあると思うけど、
大事にしたいね。
おばさんの御冥福を私も祈ります。
いつもブログ楽しみにしています。
今回は、何というか胸がいっぱいになりました。
おばさまが素敵な人だったのはもちろんですが
H子さんの「人を想う気持ち」が素晴らしいなぁ、と。
おばさまのご冥福をお祈りいたします。
今日マミーと話したけど、そんなこと言ってなかったなぁ。。。
また明日から、自分たちにできる精一杯のことをして、毎日を過ごそう!
核爆弾が飛んでくるかもしれないし、後悔がないように!
綺麗な夕日が見られて良かったね。
今度から夕日を見る度におばさんの強く明るい生き様を思い出せるようだね。
素敵なプレゼント。
本当に素敵なおばさんだったんだね。
あぁ。柄にもなくお酒以外の記事にもコメント入れてしまいました。
素敵な生き方に共感し吸い寄せられましたよ。
どうぞ安らかに。。。
しかも並大抵な頑張り屋ではない、
人に優しく自分には厳しく!私がもっとも尊敬できる女性像です。
長きの闘病生活は辛かったと思います。
愚痴ばかり言ってる私は恥ずかしい限りで、、
安らかにお眠りください。
おじさまのお言葉に、よいご夫婦であったことがうかがわれます。H子さまのお惣菜も喜ばれたとのこと、そうかそういうことだったのだと改めて胸に迫ります。しばらくは心の置きどころがないような気持ちだと思いますがどうぞお体に気を付けてお過ごしくださいね。
心に染み渡るお言葉、ありがとうございます。
まほろばさんも、悲しいお別れがあったんですね。
50代でとは、本当に早い!!まだまだやりたこともおありだったでしょう。
『いい日、旅立ち』のイントロが、あんなに胸に突き刺さるものだとは、歌詞も含めて、谷村新司ってスゴイな、なんて思ってしまいました。
悲しみをともに共有、共感していただけて、これほど嬉しいことはありません。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に、家族のために人生を捧げていた方でした。
私が結婚した時からすでに病魔と闘っておられたので、
ヒロシ君もなにかあると「これはおばさんに食べさせてあげよう」って買っていったりして、それでも家に持って行くとシャンとしていて、弱いところは見せない気丈な方でした。
夫婦仲も本当に良くって、毎日おじさんと娘さんのお弁当を作り、おばさんの誕生日には必ず花束を贈られるおじさん、だから、心に穴がぽっかり空いちゃったんだろうな。
いつか来るとはわかっていても、いざとそうなると・・・私もね。
公園の木ですか、それイイですね。
ありがとうございます。
闘病中でも家のこと、家族のことを最優先にされている、という印象でした。
ずっと人工透析をしていたんだけど、「これで最後にしたい」と言ってから、あっという間の旅立ちでした。
前夜も大丈夫だからとみんなを帰らせ、翌朝みんなの顔をみてすぐ・・・最後まで気遣いの方だったと思います。
親戚いろんな人がいるけれど、こちらの従妹ちゃんとは気もあって、良いご縁に恵まれたのも、おばさんのお陰だと感謝しております。
ほんと、大事にしないとね。
ああ、この間、れいこちゃんに言おうかと思ったんだけど、あっちの家のことだし、いいかなって思って。
ごめんね。
ヒロシチチの兄嫁さんです。
アクの濃い人種の中でオアシスのような存在だったから・・・。
今日もミサイル飛んじゃったし、毎日悔いの無いよう生きましょう。
なんども大きなガンを乗り越え、ここ数年は辛い人工透析にも絶え、それなのに弱音を吐かずに最後まで家族のために生きる・・・壮絶です。
そんな人間になれっていわれても、いざ自分がそうなったとき、やっぱり愚痴も言いたいし、泣いたり、怒ったり、自分はこんなんだからと屈折してしまうと思います。
それが人間。
だとすると、おばさんって聖母だったんですかね。
もっとたくさんおしゃべりしたかった。
あなたもまだ辛いでしょうに、優しいことば、ありがとう。
最後はあっけなかったけど、あっけなく逝けるって凄いことだと思いました。
総菜作り、今まで全然してあげてなかったのに、なんか急に思い立ったのは、そろそろそういう時期だったからだと、虫の知らせだったのかな。そういう感覚するどいの。
おじさん、毎日仕事に行っているみたいだけど、時々宙を見てため息ついてるらしい。
仕方がないよね。
一つの記事でこれだけ人となりを書き記せて相変わらずの文章力にじんわり感動でした。素敵な記事ですね。
14日の昨日の空。13日の18時前には大きな虹がかかりましたよ。
うっすら2連になった瞬間も数分ありましたが・・・東京からは見えなかったかな〜多分同じくらいの時間に東の空の虹を見ていたsumikoでした。。。
へーーーー、お通夜の直前に虹がかかったのかぁ。
感慨深いです。
翌日のピンクとゴールドの空は見事でしたね。
同じ空、見てたんだぁ。と、嬉しくなりました。
そして、とっても心強い。
こうやって、みなさんに共感してもらい
改めて私、支えられているなって、胸が熱くなりました。
ありがとうございます。
亡くなられた方の結うご縁、浅からぬものでしょう是非大切にされてください。
背筋の伸びた、愛情にあふれた生き方が読み取れました。
人生を生ききるって、叔母さんの様な生き方を言うのだろうと思いますよね。
本当に、愚痴ばかりの私では足元に及ばないです。。
ゆっくりと、お休み頂けますよう。ご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
闘病生活は想像を絶するものだったと思いますが
家族の支えがあり、逆に家族を支えることで生きる気力が生命力になったのかなって思いました。
病気だからって心は負けちゃいけないんだなって。
そういう強さ、もっていたいですね。